大判例

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東京地方裁判所 平成4年(ワ)9292号 判決 1993年5月21日

原告

長嶺豊

外七〇七名

原告ら訴訟代理人弁護士

佐藤裕人

古川靖

安田信彦

両事件被告

株式会社講談社

右代表者代表取締役

野間佐和子

両事件被告

野間佐和子

元木昌彦

森岩弘

佐々木良輔

早川和廣

島田裕巳

被告ら訴訟代理人弁護士

河上和雄

的場徹

成田茂

山崎惠

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実および理由

第一請求

一平成三年(ワ)第一三二七一号事件

被告らは、各原告らに対し、各自金一〇〇万円及び、被告講談社はこれに対する平成三年一〇月八日から、その余の被告らはこれに対する平成三年一二月二六日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二平成四年(ワ)第九二九二号事件

被告らは、原告に対し、各自金一〇〇万円及び、被告森岩弘はこれに対する平成四年六月一一日から、その余の被告らはこれに対する平成四年六月二七日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

原告らは宗教法人幸福の科学の会員であり、同宗教法人の代表役員である中川隆(通称大川隆法)を信仰の対象とし、同宗教法人に帰依している旨主張し、被告講談社発行の三種類の雑誌に掲載された宗教法人幸福の科学及び大川隆法に関する記事が中傷及び捏造の記事であって、右記事によって原告ら各自の宗教上の人格権が侵害されたとして、各被告に対し各自慰藉料金一〇〇万円の損害賠償を請求する。原告らの右請求は、右記事の作成、発行等が被告らの共謀によるものであり被告らが不真正連帯債務を負うことを理由とするものであるが、原告らは、予備的に、被告らに右共謀がないとしても各雑誌毎に記事の作成、発行に携わった各被告に個別の賠償責任が生ずるとして、被告早川、被告元木、被告野間及び被告講談社に対し各自金三三万三三三四円の賠償を(右四者間では不真正連帯債務)、被告森岩、被告野間及び被告講談社に対し各自金三三万三三三三円の賠償を(右三者間では右同様)、被告島田、被告佐々木、被告野間及び被告講談社に対し各自金三三万三三三三円の賠償を(右四者間では右同様)、それぞれ求めている。

被告らは、これに対し、本案前の答弁として、本件訴訟は原告らの訴権の濫用であり不適法であるとして訴えの却下を求め、仮に訴えが不適法でないとしても、原告らが被侵害利益として主張する宗教上の人格権はその概念があいまいで不法行為法上保護される利益となり得ず、また、原告らは本件の慰藉料請求の主体とならないとして、原告の主張を争っている。

一争いのない事実等

1  原告らは、宗教法人幸福の科学(以下「幸福の科学」という。)の正会員として幸福の科学を主宰する中川隆(通称大川隆法、以下「大川主宰」という。)を信仰の対象とし、幸福の科学に帰依していると主張する者である。

被告講談社は、週刊「現代」誌(以下「週刊現代」という。)、週刊「フライデー」誌(以下「週刊フライデー」という。)、月刊「現代」誌(以下「月刊現代」という。)、CADET誌等を出版する営利法人である。

被告野間佐和子は、被告講談社の代表取締役社長である。

被告元木昌彦は、週刊フライデーの編集人である。

被告早川和廣は、週刊フライデーの記事の執筆者である。

被告森岩弘は、週刊現代の編集人である。

被告佐々木良輔は、月刊現代の編集人である。

被告島田裕巳は、宗教学を専攻する日本女子大学文学部史学科助教授であり、月刊現代の記事を執筆したこともある者である。

2  原告らが、各自の宗教上の人格権を侵害したと主張する、幸福の科学及び大川主宰に関する記事(以下「本件記事」という。)は、以下のとおりである。

(1) 週刊フライデーに掲載された記事

平成三年八月二三日・三〇日号に、「連続追及 急膨張するバブル教団『幸福の科学』大川隆法の野望 『神』を名のり『ユートピア』ぶち上げて三千億円献金めざす新興集団の『裏側』」という見出しを付した記事が掲載された。右記事には次のような記述がある。

GLA元幹部で現在、東京・墨田区で人生相談の「石原相談室」を開いている石原秀次氏は語る。

「彼がまだ、商社にいるころでした。ぼくのところに、ノイローゼの相談にきました。『GLAの高橋佳子先生の『真創世紀』を読んでいるうちにおかしくなってしまった。自分にはキツネが入っている。どうしたらいいでしょうか』と。分裂症気味で、完全に鬱病状態でした。ノイローゼの人は名前や住所を隠す場合が多いんですが、彼も中川一郎(本名は中川隆)と名のっていました」

その青年が、数年後の現在、霊言の形を借りては、あらゆる宗教家、著名人になりかわり、ついには自分は『仏陀である』と語るのだ。

大川氏の変身ぶりの背後に何があったのか。宗教の摩訶不思議な作用というには、あまりにいかがわしさがつきまとっているとはいえまいか。

また、同誌同年九月六日号、同月一三日号、同月二〇日号、同年一〇月四日号、同月一一日号、同月一八日号、同月二五日号には、「連続追及 急膨張するバブル教団『幸福の科学』大川隆法の野望」との見出しを付した記事が掲載された。

右の各記事は、その本文を被告早川が執筆し、見出し部分は同誌編集部が考案したものである。また、右の各記事を掲載した同誌は、各表示された日付よりも約二週間前に発売された。

(2) 週刊現代に掲載された記事

同誌七月六日号に、「内幕摘出レポート 『3〇〇〇億円集金』をブチあげた『幸福の科学』主宰大川隆法の“大野望”東大法卒の“教祖”が号令!」という見出しを付した記事が掲載された。右記事には、以下のような記述がある。

「私は入会して3年になりますが、宗教法人として認可(今年3月7日)されてから、おカネの動きが激しくなりました。この前、(東京・千代田区)紀尾井町のビルの本部で、ちょうどみかん箱くらいの段ボールが数個、運び込まれているところに居合せたんです。経理の人に『あれはコレですか』って現金のサインを指でつくったら、その人は口に指を当てて、“シー”というポーズをした後、『そうだよ。でも、他の人にいってはダメだよ』といいました」

いま話題の新興宗教「幸福の科学」(大川隆法主宰)の中堅会員は声をひそめて語った。

ついに、あの「幸福の科学」が、巨額の資金集めを始めたというのだ。また、次のような記述もある。

……もともとこの教祖はなかなか自己顕示欲が強く、プライドも高いのは確か。

「6月16日、広島で行われた講演で大川氏はこんなことをいっていました。

『最近、会員のなかに霊がわかるという人がでてきたようだが、皆、そんな人にまどわされないように。もともと、その霊能力も私が授けたものなんだから』

自分以外の者が勝手なことをしたり、注目を集めるのが許せないんです」(元会員)

さらに、同誌九月二八日号に、「徹底追及第2弾 続出する『幸福の科学』離反者、内部告発者の叫び 大川隆法氏はこの『現実』をご存知か」との見出しを付した記事が掲載された。右記事には、以下のような記述がある。

……「幸福の科学」とはどういう教団なのだろうか。

草創期から携わっていた元役員は次のようにいう。

「もともと大川氏は口数もすくなく、大人しいタイプでした。会員をはじめ、役員たちとあまり話をすることもありません。教団の運営は、ごく限られた“腹心”たちと決めていました。会員の動向は、その腹心たちから毎日上がってくる『業務報告』で把握していました。ただこの報告が問題。ここで悪くいわれた人は、すぐ教団を追い出されました。みんな、この報告のことを陰でゲシュタポ・レポートと呼んでいました」

当初からこの集団は“問題教団”になる危険性をはらんでいたのである。

また、次のような記述もある。

大川隆法主宰(本名・中川隆)は……いったいどんな“素顔”をもった人物なのだろうか。

「銀座の高級クラブで10人くらいの側近を引き連れた大川氏と一晩、ヘネシーを飲んだことがあるけれど、物事を論理的に話すヤツだなあという印象を持ったな。ただ、自分より上のヤツは持ち上げ、へつらうところがある。意外と気も小さいと思ったな」

というのはある画家(特に名を秘す)である。

今春、銀座の画廊で「観音様」をテーマにした個展を開いたとき、大川氏が一団に囲まれて会場に現れ、40号の「観音様」の絵を50万円で買ってくれたというのだ。

その画家が、

「できるだけ無欲の精神で描こうと思っていますが、なかなかうまくいかないものです。煩悩の数だけ生きて、一〇九歳にでもなれば、納得のいく絵が描けるかもしれません」

というと、大川氏は、

「私も宗教者として全く同じ気持です」

と答え、意気投合。

そして大川氏の側近から、「銀座で一杯いかがですか」と誘われ、一緒に飲んだというわけだ。

ただ、行った店は大川氏の行きつけではなかったようで、店内でも大川氏は静かにグラスを傾けていたという。

同誌一〇月一二日号には、「『幸福の科学』の強引な『カネと人』集めははた迷惑だぞ!今度は小誌が『名誉毀損』だって」との見出しを付した記事が掲載された。右記事には、以下のような記述がある。

そこまでいうのなら反論しよう。

まず小誌9月28日号でゲシュタポ・レポートの存在を明らかにした草創期からの会員の再証言である。

「内部の情況を逐一、大川氏に報告するレポートが“腹心”の役員から出されていました。陰口をたたいたりした人間はチェックされ、まず監視をつけられました。なかには、突然仕事をホサれたり、イヤガラセとしか思えない命令をされる人もいた。そんな人たちは、次第に追いつめられて、辞めていきました。私の仲間が、それを“ゲシュタポ・レポート”と呼んでいたのも事実です」

元幹部も、これを裏付けるように証言する。

「この報告はほぼ毎日出されていました。初期の責任者はK・T氏。彼は会員たちの間では絶対的な存在でしたよ。よく『自分がいうことは大川先生のいうことだ』といっていました。彼が逐一報告していたため、大川氏は事務所に来なくても、会員の動向を把握できたわけです」

さらに次のような記述も存する。

一方、五〇万円で絵を買ってもらった画家は、こう語る。

「なんでウソだなんていうんだろう。きっと今、大川氏はカネに困っているので、絵を買っていたなんて書かれると困るんだろうね。周りに“ムダ遣いしてる”と思われたくなかったんじゃないかな」

その画家は今年4月1日から6日まで、東京・銀座の某画廊で個展を開いたのだが、ある日、大川氏が5、6名の側近を連れてきたという。

「側近の一人から『大川隆法さんです』と紹介されたんだ。その時、『太陽の法』とかいう本もくれた。その後、大川氏らと銀座へ繰り出したのも本当だよ」(ある画家)

右の各記事を掲載した同誌は、各表示された日付よりも約二週間前に発売された。

(3) 月刊現代に掲載された記事

平成三年一〇月号(発売されたのは、同年9月)に、「宗教学界の異才が初の本格追及 こんなものがはびこるのは日本の不幸だ! バブル宗教『幸福の科学』を徹底批判する」という見出しを付した記事が掲載された。右記事には、以下のような記述がある。

「単なる古今東西の宗教の寄せ集めで体系性を欠いた思想、『日本だけは大丈夫』の怪説―会費ダンピングで数だけ増やす“危険な宗教”の狙いと本当の正体を見誤るな」

「幸福の科学が何を目的に活動しているかがわからない」

「幸福の科学の教えがどういったものであるのかは、大川(主宰)の本を読んでも理解できない」

「(幸福の科学の)イベントや本に内容がない」

「(幸福の科学の)教えの内容(は)…、単なる古今東西の宗教の寄せ集めにしかすぎない」

「(幸福の科学の)教え(は)…、寄せ集めで体系的でない」

「幸福の科学は、まさに『バブル宗教』である。その目的は自分たちの組織を拡大することにしかない」

「幸福の科学の会員たちは日本だけの繁栄を望んでいる」

「日本人のダメさの象徴が幸福の科学なのかもしれないのだ。幸福の科学の正体は、日本人の正体でもある」

「大川隆法の『正体』は、せいぜい落ちこぼれのエリートでしかないのだ」

「平凡なエリートの落ちこぼれと宗教好きの父親という組み合わせが、幸福の科学の『正体』である」

右の記事は、本文を被告島田が執筆し、見出し部分は月刊現代編集部が考案したものである。

二争点

1  訴権の濫用といえるか

2  原告らに対して本件記事による不法行為が成立するか

3  被告らの責任の負担割合と原告らの損害

三争点に関する当事者間の主張

1  争点1(訴権の濫用といえるか)について

(一) 被告らの主張

本件請求は、被告講談社の行った幸福の科学及び大川主宰に関する報道全般を無差別、無限定に問題にするものであり、また信者であるというだけで、彼らがこの報道に接したか否かを問わずに慰藉料請求ができるとするのであって、およそ特定された法的な請求とはなっていない。

また、本件請求は、大川主宰を特別な存在として位置付け、同人に対する「不敬」一切を許さないとする思想に貫かれたものであり、思想、良心の自由、言論、出版、表現の自由を保障した憲法秩序を否定する、公序に反する内容の性格のものである。

さらに、本件請求は、幸福の科学が平成三年九月二日以来組織的に継続している被告講談社に対する業務妨害行為の延長上に位置付けられたものである。全国の幸福の科学信者らを組織的に動員して統一反復して提訴することで、被告講談社の信用を毀損し、信者らをさらなる被告講談社攻撃へと駆り立て扇動するものであり、その動機、目的において違法である。

以上から、本件請求は、訴権を濫用したものというべきであるから、不適法なものであり、却下されるべきである。

(二) 原告らの主張

被告らの主張は争う。

2  争点2(原告らに対して本件記事による不法行為が成立するか)について

(一) 原告らの主張

(1) 原告らの損害賠償請求は、原告ら個々人の有する宗教上の人格権に基づいている。宗教上の人格権は、静謐な環境のもとで信仰生活を送るべき法的利益であり、右法的利益には、自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を、明確にいきすぎた中傷的言論で傷つけられない権利が含まれている。これを本件に具体的にあてはめて考えれば、原告らは、自らが正会員として所属し、帰依する宗教団体幸福の科学及びその信仰の対象たる御本尊大川主宰を、捏造記事等の無責任な暴力的言論で誹謗中傷されない権利ないし法的利益を有する。

右にいう帰依の事実は、肉親との結びつき以上に深い精神的結びつきを意味し、目に見えないが、事実として確定しうるものである。幸福の科学から厳格な審査を受けて正会員として認められた事実はこれを客観的に示すものである。

(2) 被告らは、大川主宰や幸福の科学に関する捏造あるいは誹謗中傷を内容とする本件記事を、作成し、出版物に掲載し、右出版物を出版・販売し、さらに、その販売を中止せず放置した。右一連の行為(以下「本件行為」という。)が本件における被告らの侵害行為である。

本件行為は、以下のとおり、強度の違法性を有する行為である。まず、大川主宰及び幸福の科学の名誉を毀損する、名誉毀損罪を構成しうる行為であり、刑法上の礼拝所不敬罪を構成しうる行為でもある。また、西欧諸国において規定されている神冒涜罪に該当する行為で、比較法的にみて違法性の高い行為であるし、わが国が昭和五四年に批准している国際人権B規約、さらには、マスコミの公共的性格に反する。そして、本件記事は、短期間に三〇本以上にもわたって被告講談社出版の雑誌等に掲載された幸福の科学及び大川主宰に対する誹謗中傷記事の一環であり、幸福の科学及び大川主宰に対する強い悪意が認められる。さらに、幸福の科学から数度にわたる抗議を無視した無反省な行為である。

(3) 不法行為の成否を考えるにあたっては、行為の違法性を考える必要があり、右の違法性は、法的利益の権利としての明確性と、侵害行為の強度性の相関関係によって判断される。前記検討のとおり、原告らは保護されるべき法的利益を有し、それに対する本件行為は強度の違法性を有するものであるから、本件においては、不法行為の成立が認められる。

なお、原告らは、本件行為のもとにある本件記事が幸福の科学及び大川主宰に向けられたものである点で本件不法行為における間接被害者であるが、個々人の有する宗教的人格権が侵害されたという直接侵害を主張するものである。

(二) 被告らの主張

(1) 原告らの主張する宗教上の人格権は、その具体的な概念、内容、要件、効果等が不明確であって、保護されるべき法的利益たり得ない。すなわち、宗教上の人格権における心の平穏それ自体が、極めて個別的、主観的、かつ、抽象的なものであって、法律上の権利として客観的に把握しうるような明確性を有していない。また、原告らが、宗教上の人格権の内容として主張する宗教団体あるいは御本尊への帰依の事実は、個々人の信仰上の内心の問題であって司法審査の対象とならない事項であり、権利主体の範囲に明確性を与えるものではない。

(2) 本件において、原告らは間接被害者であるが、加害行為の直接被害者が自ら司法救済を求めることが可能な場合、それ以外の人について不法行為は成立せず、例外的に成立するのは生命侵害の場合の近親者など極めて限定された範囲であるにすぎない。そして、本件はこの例外に該当しない。

(3) 本件行為は、以下のとおりその違法性が阻却されるものである。

言論、出版の自由(以下「出版の自由」という。)は、憲法二一条一項により保障された基本的人権である表現の自由の一つであり、民主政治の根幹をなし日本国憲法の核心である国民主権と直結するものであるから憲法で保障される自由や権利のうちでも優越的地位を与えられている。そして、出版の自由を制約する場合には、それと同等の利益を保護する場合でなければならず、かつ、出版の自由が萎縮しないように厳格な違憲審査基準に合致したものでなければならない。この論理は、私人間において出版の自由と他の権利が衝突する際に、民法九〇条等の一般条項を媒介にして憲法の人権規定を間接適用する場合においても該当するものである。

本件記事が扱う幸福の科学は、新興の宗教団体(以下「新興宗教団体」という。)の一つといわれているが、新興宗教団体は、その実践する新興宗教が多数の市民の魂の平安・救済に関与すること、寄付として多額の金銭が集められる場合もあること、政治的影響を持つに至る場合もあること、しばしば法律や社会規範との抵触を起こすことがあることなどから、現代社会の重要な問題の一つとなっている。そして、新興宗教においては、教祖が強烈な個性と何らかの原体験に基づく説教や教義によって多数の信者を引きつけている場合が多い。したがって、新興宗教団体の教団自体のあり方、活動のみならず、教祖の発言や教え、人格、生い立ちや経歴、精神状態、健康等も当然社会公共の関心事となるのである。そうすると、新興宗教団体の一つである幸福の科学及びその教祖である大川主宰に関する事柄は重要な公共の関心事なのであり、これについての本件行為は、特に重要な権利として尊重されなければならず、右行為について不法行為が成立するか否かを判断する場合は、その衝突する権利の成立の有無を明確性その他の要件から慎重に行い、権利性が認められた場合でも両者の優劣を具体的に比較検討して行う必要がある。

右を前提にして考えると、本件で問題となっている宗教の人格権をもって本件記事の作成、出版等の行為を制約できると解するべきではなく、右行為に違法性はないというべきである。

3  争点3(被告らの責任の負担割合と原告らの損害)について

(一) 原告らの主張

(1) 前記のとおり被告らの掲載した記事は違法性の強いものであり、本件行為は被告らの共謀によってされたものであるから、個々の被告は、本件行為の全体について責任を負うものである。

仮に全体について共謀が存在しないとしても、各雑誌毎に記事の作成、発行等に携わった各被告に個別の賠償責任が生ずるから、週刊フライデーの記事に関して被告早川、被告元木、被告野間及び被告講談社は不真正連帯債務を、週刊現代の記事に関して被告森岩、被告野間及び被告講談社は不真正連帯債務を、月刊現代の記事に関して被告島田、被告佐々木、被告野間及び被告講談社は不真正連帯債務をそれぞれ負う。

(2) 原告らの受けた損害は、前記のとおりの宗教的人格権を侵害されたことによる精神的損害であり、その中には、直接その記事に接することにより自らの信仰を奪われかけたこと及び捏造記事の内容を信じ込まされた人々の行為を介して心の平穏を乱されたことが含まれる。

右の損害を金銭的に評価すれば、一人あたり金一〇〇万円を下回るものではない。仮に本件行為全体についての被告らの共謀が認められない場合には、右金額のうち、週刊フライデーの記事に関しては被告早川、被告元木、被告野間及び被告講談社が、週刊現代の記事に関しては被告森岩、被告野間及び被告講談社が、月刊現代の記事に関しては被告島田、被告佐々木、被告野間及び被告講談社がそれぞれ不真正連帯債務を負い、損害額は、週刊フライデーの記事については金三三万三三三四円、その余の記事については各金三三万三三三三円が相当である。

(二) 被告らの主張

被告らの責任及び原告らの損害額についての原告らの主張は争う。

第三争点に対する判断

一争点1(訴権の濫用といえるか)について

被告らは、原告らの本件請求を訴権を濫用した不適法な訴えであるとし、その理由として、①本件請求は、被告講談社の行った幸福の科学及び大川主宰に関する報道全般を無差別、無限定に問題にし、信者であるというだけで慰藉料を請求するもので、請求として特定されていないこと、②原告らの主張は大川主宰を特別な存在として位置付け、同人に対する「不敬」一切を許さないとする思想に貫かれたものであり、憲法秩序を否定する、公序に反する性格を有すること、③本件請求は、幸福の科学が平成三年九月二日以来組織的に継続している被告講談社に対する業務妨害行為の延長上に位置付けられたもので、動機、目的において違法であることを主張する。

そこで、まず、①の点について検討すると、原告らは、被告らの行った報道のうち本件記事に限定してそれに関する掲載、出版等の具体的行為を侵害行為として主張し、その結果、自らの宗教的人格権を侵害されたことを理由としてそれを賠償するための金銭の給付を請求しており、訴権の濫用になるといえる程度に法的請求としての特定性を欠いているとまで認めることはできない。また、②の点についても、大川主宰に対する名誉毀損行為であると原告らが判断した報道のうち特定の記事内容に限定して問題にしており、同人に対する不敬を一切許さないという趣旨のものとは理解されないのであって、これをもって公序に反する内容の請求であるということはできない。さらに、③についても、幸福の科学が被告講談社に対して組織的に業務妨害行為を行っていること、あるいは、本件請求がその延長上に位置付けられたものであることを認めることはできず、他に、本件請求の動機、目的の違法性を示す事情は認められない。また、被告が主張する以外の事情で本件請求が訴権の濫用であることを示すものもなく、したがって、本件請求が不適法なものであるということはできない。

二争点2(原告らに対して本件記事による不法行為が成立するか)について

1  まず、原告らが主張する、「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を、明確にいきすぎた中傷的言論で傷つけられない権利ないし法的利益」が、宗教上の人格権として不法行為法上保護される利益たり得るかについて検討する。

原告らの主張する右の宗教上の人格権は、要するに自らの帰依する宗教団体又はその信仰の対象が違法性のある中傷的言論により傷つけられた場合において、これを信仰する者は自らの権利ないし法的利益が侵害されたものとしてその侵害に対する損害の賠償を請求できるとすることを内容とする。換言すれば、宗教を信じる者は、自らが帰依する宗教団体又はその信仰の対象たる御本尊が中傷的言論で傷つけられると、自らの信仰に基づく宗教心ないし宗教的感情が傷つけられ、あるいは、自らの信仰の喪失の危機に直面するなど、宗教上の心の平穏が乱れるという不利益を被ることになるから、このような形で宗教上の心の平穏が乱されないという信者の利益は、宗教上の人格権として法的に保護すべきであるというものである。

2  しかしながら、本件において原告らが主張する侵害行為は、原告ら自身の精神活動に直接に向けられたものではなく、その帰依する宗教団体又は信仰の対象に向けられており、これによりいわば間接的に自己の信仰生活の平穏が害されたというに過ぎない。このような態様による侵害行為の場合にあっては、これによって仮に原告らのいわゆる宗教上の心の平穏が害されることがあったとしても、その不利益は、次に述べるとおり、結論的には法的救済の対象とはなり得ないといわざるを得ない。

(一) 第一に、原告の主張する被侵害利益は、現行法の枠組みの中では、法的に保護されるべき利益として確立されていないということができる。

本件における原告らは、その帰依する宗教団体又は信仰の対象がこれを直接の対象とする侵害行為により名誉信用を害されたことによって、換言すれば、加害行為の対象者の利益が侵害され、加害の対象者につき不法行為が成立することによって、初めて自らの心の平穏が害され、精神的苦痛を被るというものであるから、その意味で間接的あるいは反射的な被害者である。現行法は、このような被害者について、およそ何等かの精神的苦痛があればその慰藉料請求を認める立場に立っているわけではなく、右請求を認めるためには、社会観念上金銭で慰藉されることが妥当であるとされる程度の精神的苦痛がなければならないとしていることは明らかである。他者の権利ないし利益が侵害されることにより自己が精神的な痛みを感じるという事態は、宗教の分野に限らず社会生活において稀ではないであろうが、通常の精神的苦痛であれば、直接の被害者の損害が填補されることにより、間接的な被害者の苦痛も慰藉されるという関係にあると看做してよいと考えられ、したがって、右の間接的な被害者の精神的苦痛自体を法的保護の対象としていない。

しかし、間接的な被害者の精神的損害が甚大である場合には、直接の被害者の損害の填補のみによって損害が償われるとはいえないことがあるので、例外的に間接的な被害者に固有の慰藉料請求権を認める必要がでてくる。ただ、現行の不法行為法は、その規定の仕方から考えて、これをあくまで例外的に認めるという思想に立脚しており、これに該当するのは、生命に対する侵害があった場合における被害者の近親者のように、直接の被害者の被侵害利益が生命侵害又はそれに準じる侵害の場合のように社会通念上重大であり、かつ、直接の被害者と間接的な被害者の間に極めて密接な精神的結びつきがあると社会一般で認められる場合に限られると解するのが相当である。

そこで、本件における原告らについてみるに、まず、本件行為は前記のとおりの内容の名誉信用を毀損する行為であって、それが不法行為を構成するとしても、その被侵害利益は社会通念上生命に準じる程重大なものとまで一般に認められてはいない。

次に、原告らは、原告らと幸福の科学あるいは大川主宰との間には肉親との結びつき以上の深い精神的結びつきが存在し、この結びつきは原告らが幸福の科学の正会員であるということから明らかにされていると主張するが、近親者に慰藉料請求権が認められる根拠となる肉親の情というものが一般社会通念として肯定しうるものであって、個々具体的にその存否の確定を必要とせず、その身分関係によっていわば制度として認められているのに対し、信仰に基づく精神的結びつきはそのような普遍性を持つものではない。すなわち、宗教上の内心の結びつきのような特殊な関係は、当該宗教の教義の内容や各個人の信仰の深さなどによって異なると考えられ、近親者のような形では社会一般に客観的、普遍的なものとして受け入れられてはいないといわざるを得ないのである。そして、原告らが主張する正会員としての地位も、この結びつきの存在を示す客観的基準とは認められない。

そうすると、本件において原告らが侵害されたと主張する利益は、現行法の下では、権利として確立されていないといわざるを得ないのであって、法的保護の対象とはならないというべきである。

(二) 第二に、別の観点から考察してみても、本件のような利益は、これを原告らのいうように宗教上の人格権として法律構成をしても、その存否の判断が司法的判断の埒外であるといわざるを得ない以上、法的権利と認めることはできない。

ある宗教団体又は信仰の対象が名誉信用を毀損された場合、その宗教の信者は、単に不快感や憤りを覚えることから、心の内奥に痛手を受けて宗教心ないし宗教的感情を害されることまで、様々な不利益を受けることは想像に難くない。この場合、具体的にどのような不利益を被るかは、当該侵害行為の態様と当該信者の信仰の深さとの相関関係の下で定まるものと考えられるが、宗教上の人格権という法的構成の下に保護に値する利益ということになれば、通常の感情を害する程度の不利益はその対象から除かれ、宗教心ないし宗教的感情に対する侵害といえるような不利益のみが問題となることは、異論のないところである。そうだとすれば、仮に信者に宗教上の人格権を認めるとすれば、それは、その者がその宗教をある一定の程度を超えて信仰しているという、正にその一事を理由とせざるを得ない。つまり、信者が当該信仰を持つ者のみが感じることのできる宗教心あるいは宗教的感情を害されたという場合に、初めて法的保護を受けられることになるわけである。ところで、法的利益として保護を受けられるとすれば、その存否を裁判所が判断することになるのは当然であるが、個々人の具体的な信仰という問題は、それがそれぞれの内的な精神活動に深く係わる、極めて個別的、主観的なものであるだけに、信仰の有無、程度、とりわけ信仰の深さが一定程度を超えているかを判断するのは至難の業であって、これを客観性をもって行うことは裁判所に期待し得ることはできない。要するに、ある人がある宗教をどの程度信仰しているか、その信仰の対象が傷つけられることによりどの程度の精神的苦痛を受けるかなどは、その信仰を共有するものにしか理解することができない面があることを否定できないのであって、少なくとも客観的事実として裁判所が確定することは事柄の性質上不可能であるといわなければならないのである。したがって、原告らのいう宗教上の心の平穏は、直ちに権利ないし法的利益として保護されるものではないというべきでる。

この点につき原告らは、各人の信仰の有無、程度は幸福の科学の正会員であることによって客観的に把握できるとする。しかし、正会員という宗教団体における地位にあることが当然にその者の信仰の有無、程度の徴憑となるものではないことは明らかであり、これを基準とする場合には、正会員であることが信仰の有無、程度とどのように繋がっているかを検討しなければならないことになる。それは必然的に当該宗教の教義そのものに立ち入ってこれを審査することを意味するのであって、裁判所がそのような判断をすることは不適当であり、これを厳に慎むべきであることは多言を要しないであろう。

なお、原告らは、宗教的感情も刑法上保護を受けていることからみて、その侵害につき判断できる旨主張するようでもあるが、右の刑法の規定は社会的秩序、風俗としての宗教的感情を法的保護の対象としたもので、本件のような個々人の具体的な宗教的感情の問題にそのまま妥当するものではない。

3  以上検討したところによれば、少なくとも原告らが主張する自らが帰依する宗教団体又はその信仰の対象を中傷的言論によって傷つけられない権利というものを権利ないし法的利益として認めることはできず、その余の点を検討するまでもなく、本件行為は、原告らに対する関係では不法行為を構成するものではないことになる。

第四結論

以上の次第で、原告らの本件請求は理由がないから、いずれもこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官相良朋紀 裁判官大塚正之 裁判官渡邊真紀)

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